今を自由に、HAPPYに。

"今"を生きたいです。ひとりひとりの思いが自由に伸びる世界が素敵だなと思っています。そこに向かうための私の気づき集。イベント感想や可愛いもの、ハンドメイドを中心に書いています。日々のことも。

ハッピーガールズタイム

 

一目惚れした靴をお迎えすると、

お出掛けがとても楽しみになる。

 

 

一目惚れって、

私の中にある感覚が瞬時に反応した証拠。

だから、私は全面的に私の一目惚れを信用することにしています。

 

 

今日は休日。

朝起きて青い空が見えて、

ん〜しあわせ〜♡と思ったご機嫌の日だったので、お出掛けすることにしました。

 

 

お出掛け前には、

東京アリスを観ながら、

新しいヘアアレンジに挑戦。

可愛く出来てさらにご機嫌。

 

そしてメイクとお気に入りのお洋服にお着替え。

ハンドメイドのアクセサリーを最後につけて。

 

 

あ〜しあわせ〜〜〜♡

ハッピーガールズタイムです。

 

 

この瞬間が人生の中でたまらなく好きです。

小さいしあわせの大集合。

 

 

感覚を大切に、

好きで溢れさせる生き方。

 

 

自然と笑顔がとまらなくなります。

 

 

 

そんなこんなでにやにやしながら、

バスを待っていたら自転車で通りすがりのおじさんに可愛い〜って言って手を振ってもらったので、手を振り返したミュージカルみたいな日です(笑)

 

 

お出掛けしてきます。

 

 

生きててワクワクする世界を想像する

SNSのアカウントは複数ある派です。

それぞれの趣旨により、見える世界が異なるのが面白いから。

 

自分がなにを見ようとするかで、

世界の見え方は変わってくる。

 

ということが簡単に体感できます。

 

 

 

私はやっぱり、

作り手がたくさん集まってる世界が好きです。

小さな創作の世界。

愛に溢れていて、あたたかい。

 

そんな世界で生きることがわくわくする。

私も自分の世界を形にして生きたい。

 

 

 

 

月の満ち欠けをみる

今夜は中秋の名月

 

お月様がよく見えて落ち着きました。

 

もうすぐ満月ですね。

 

 

月の満ち欠けカレンダーを見るのが好きです。

体も月も一緒に動いているから、

不思議で神秘的で月が好きです。

 

 

月のパワーについては、

一度本を読んだくらいで、

あとは何度かネットで確認するくらいで、

そんなに詳しくない。

 

だけど自分の気持ちに変化があったとき、

なんとなくその日の月を見上げて、

ああ、今日の月はこんな感じか、

と思うのが好きです。

 

 

もうすぐ新月だ、

もうすぐ新月だ、

ってよくわくわくします。

 

願い事をしているわけでもないけれど、

なんだか見上げたくなるから。

 

 

空を見上げると、

背筋も伸びて気持ちがいい。

 

 

 

下を見るのも、

小さな生き物に気づけて、

また、良い。

 

 

 

そんな夜です。

 

贅沢な時間

バスまでの待ち時間にカフェで読書。

 

はあちゅうさんの短編小説集

『通りすがりのあなた』

 

六本木のネバーランドが好きでした。

 

弱くて儚くて、

だけどちょっとあたたかい、

そんな人が好きです。

 

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甘ったるい幸福

近所にある小さな図書館が好きだ

 

ちょっぴり色褪せた本たちが、

数少なめに並んでいる。

 

お年寄りか子連れの母親くらいしかいない。

 

 

手芸コーナーはひとつの棚に収まっている。

このコーナーが私は好きだ。

 

手編み、ビーズ、リボン…

そしてそれらの上に乗る「かわいい」という文字。

タイトルを眺めているだけで、

甘ったるい現実離れした気持ちになれる。

 

背表紙に指をかけ、

引き出し表紙を見てみる。

私の感じる「かわいい」と一致するものはほとんどない。

 

 

けれど、その背表紙のタイトルの並びを見ているだけで、何事にも追われずに静かに小さな幸せを味わう光景が浮かんできて、少し頭が馬鹿になったような心地よさに包まれる。

 

 

永遠に続く春の昼下がりに、

焼きあがったばかりのタルトを、

色とりどりの花が咲く庭で、

秘密を共有する女の子たちとひそひそと味わう瞬間のようだ。

 

 

小さな暮らし

 

休日の朝。

夜に降った雨でコンクリートと木々が潤っている。

曇り空が心地よい。

 

 

用事があり、

町の小さな循環バスに初めて乗った。

歩くには遠くて、

車は運転したくないから。

 

 

小さなバス。

運賃100円でぐるぐると町を回るバス。

ICカードも使えない。

 

 

普段乗る駅までのバスとは違い、

見知った住宅街の中を走るバスはなんだかちょっとした旅に出ているみたいで心休まる。

 

 

埼玉のベッドタウンからバスに乗り、電車に乗り、都会に出る生活が中学生の頃から当たり前だった。

地元に友達はいなくて、

遊ぶのは全部都内。

学校も東京だったから、地元を知らない。

 

 

社会人になり、

満員電車に乗ることへの我慢が遂に限界に達した。

眉間にしわを寄せた大人たちと同じ箱の中に詰め込まれるごとに心もぎゅうぎゅうに潰される気がした。

 

 

東京にいれば最先端を感じられて、

とりあえず流れに乗ることができる。

そんな安心感がある気がする。

 

 

だけど、その安心感は他人から見聞きした価値観の中のことで、自分の感性の中の話ではないのかもしれない。

 

 

 

小さなバスに揺られ、

雨後の曇天の景色を眺めながら、

もしかしたら、

人と比べることのない、

人の声が気にならない、

必要なものもたまに手に入らないくらい、

小さな暮らしの方が自分だけの満足に感性が研ぎ澄まされるかもしれないなと感じた今朝のことであった。

 

 

寂しいと感じるとき

 

「寂しいと感じるときはどんなときですか?」

 

小学生のとき、進学塾の国語の授業で先生が質問していたときのことを今でもたまに思い出す。

 

 

複数人に質問していて、

「友達と別れるとき」

「ペットが死んじゃったとき」

「ひとりのとき」

など色んな回答があって、

それぞれに対して、

「そうだね」

と先生は返事をしていた。

 

 

あるひとりの子が、

「読んでいる本が読み終わりそうなとき」

と答えた。

 

先生も周りも、

「うーん?」

と、なったのがとても印象的だった。

 

 

たしか、

その質問が出てきた時に扱っていた話が、

人と人との関わりの中で生まれた"寂しい"という感情だったからかもしれない。

 

空気を読む臆病者のわたしは、

だから、「分かる!」と賛同しなかったのだと思う。

 

その時、求められてる答えではなかったから。

 

 

だけどわたしはその子の答えがとてもしっくりきたし、そんな自分だけの心の宝物みたいな瞬間をみんなの前で話したその子がとても勇敢に思えた。

 

 

わたしは今日も本を読み終えてしまいました。

今でも、終わりが見えてきたときは、寂しいと感じます。