自分とちょっと違う他者と融合する世界
最近ものすごい美人なアルバイトの女子高生と一緒に働くと毎回、遠くから「あの子めちゃ可愛くない?」という声が聞こえてきて、その度に顔を上げてしまい、絶対私じゃないのに反応してしまった恥ずかしい場面を毎回やってしまうのが悩みです、皆さまご機嫌よう、武田莉奈です。
前置きが長い。
最近ね、思うんです。
私ってSNSがメインの情報収集源で、
気になることがあればTwitterを調べるし、
行きたいところはインスタから探すし、
好きなYouTuberのチャンネルから新しいことを知り、
それらから生まれた疑問はぐぐったりもする。
そんな感じ。
あ、本ももちろん読みます。
(紙の本は重くて持ち歩くの面倒なのでkindle)
友達なんかもみんなそんな人多め。
面白いですよね、
情報が個人化してる。
たとえばテレビとか新聞がメインの情報収集源だったとき、大多数の人が同じ情報を得ていたわけじゃないですか。
でも今って、
ひとりひとりが自分の好みや興味関心に合った情報だけを選べるようになってる。
TwitterだってInstagramだってYouTubeだって、フォローしてる人の情報が目に入ってくるメインの情報になる。
自分が見てる世界は、
自分で選んで作り上げてる世界なんですよ。
私それってすごく面白いなって思う。
視野が狭くなるって言う人もいるけど、
もともとテレビだって新聞だって、
誰かが選んだ情報なわけだしね。
それが自分で選べるようになっただけのこと。
もちろんその世界が、
全てではないことは重々承知。
これが正しい!と自分の持ってる情報だけで、意見の違う他者を攻撃することだけは現代を生きる上でマナー違反だと私は思っています。
だけど、自分のアカウントで、
モラルに反しすぎない自分個人の考えを発信することは自由かなあと思ってしまう。
有名人に寄ってたかって批判コメントするのは、恐怖でしない。
貴方はこの人のなんなんだ!
自分のアカウントで発信するならまだしも、
わざわざコメントをするのは、
私はちょっとやだなあって思っちゃう。
だって基本的にその人のことが好きな人、
応援したい人が見て、
好きなひとたち同士で前向きに自分好みの小さな世界を築いて、人生が少し楽しくなればいいよね?って私は思うんですよねえ。
オンラインサロンが求められるのは、
そういう世界観があるからだろうなと思う。
まあ、アンチコメントを見て、
なるほどね、
そういう意見もあるのね、
と気づきになるのは事実でもある。
が、やはり、
公共の場(公開コメント)や、
メッセージ(対話と同じ)では、
相手を思いやる言い方は意識してほしい。
これは私の勝手な弱みなのですけど、
ちょっとした言葉遣いや、
他人の表情の変化ひとつとかで、
人の気持ちってある程度推測はできるから、
その一瞬で心抉られ、疲労してしまうんですよね。
だから、
不用意に不機嫌な顔を出す人は怖いし、
相手を傷つけようと思って故意に辛辣な言葉を選ぶ人は理解に苦しむ。
人にぶつからないように体を少しひねるのと同じで、無駄に心を使わないように、微笑みと寛容を携える。
それはネットのコミュニケーションの時代になっても対面と同じ。
(ってのを知らず知らずのうちに身につけていた私は、そりゃ接客向きだわ、と我ながら思います。人当たりのいい、代表みたいな。笑)
自分の好きなように世界が選べるようになった今、自分と考えの違う人が現れると、え?なにそれ?なんか違くない?ってなるのは、まあ分からなくもない。
別にそんなのスルーすればいい、
ただそれだけ、とも思うけど…
全く世界の違う人とは出会いもしないと思うんですよね。
どこかしら、なにかしら、出会うくらいにはちょっと近いものがあるというか。
そんなちょっと違う他者。
ちょっと自分と違う他者を、
微笑み、寛容な視線で確認する。
それだけで急に世界が広がるし、
柔らかくなる気がします。
うんうん、
私はこう思うけど、
あなたはそう思うんだね、
うんうん。
そのくらいの寛容さ。
受け入れなくていい、
ただ確認する。
そんなゆるっとした融合が、
なんか最近すてきだなって思う私でした。
融合したすてきな世界に行ってきたので、
その感想をInstagramに書いてます。
武田莉奈